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水野隼人正忠恒公御代分限帳 写
ミズノハヤトセイタダツネコウ オダイブンゲンチョウ ウツシ
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筑摩郡
1725
享保10年
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これは松本藩水野氏の家臣の名前・禄高・地位・役職などを記した帳面で、この年水野氏は領地没収という「大変の時」で「7月28日大変に付家中離散の節配分金の事」「右の通被召帰御扶持被下難有相勤者也」などの記事が散見する。藩主は改易されたが家臣はそのまま召し抱えられたのである。「大変」とは、寛永19年7月堀田氏に代わって水野氏が7万石で松本へ入封、忠職、忠直、忠周、忠幹、忠恒と続いた。忠恒は享保8年松本藩主となり、隼人正となった。生来酒色にすさみ政務の力はなかった。享保10年7月28日、大垣藩主戸田氏息女との婚儀の七日目将軍吉宗に拝礼の帰りに狂乱し松の廊下で毛利家の世子に切り付けた。即刻取り押さえられ領地没収・江戸藩邸収公の処分を受けた。水野氏改易後に松本領は幕府領となり、翌年、鳥羽城主戸田氏が入封し廃藩置県まで松本に在城した。
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長野県立歴史館