Loading...
引用機能は画像の任意の領域を切り出して、URLを生成する機能です。
画像上で切り出す領域を選択してから、「引用する」を選択してください。
輝度等の変更した値は引用には反映されません。
上図を登録します。
よろしければ「登録する」をクリックしてください。
登録に成功しました。
以下のURL・HTMLタグから画像にアクセスできます。
03OD0623101500
3
20
(西筑摩郡)定勝寺文書 八通 写
ニシチクマグン テイショウジモンジョ ウツシ
System.Int32[]
筑摩郡
System.Int32[]
木曽郡大桑村の臨済宗妙心寺派寺院、浄海山定勝寺の古文書八通の写である。定勝寺は1430(永享2)年木曾義仲の子孫親豊によって創建された寺といわれ、多数の中世古文書を所蔵することで名高い。ここには、康正2(1456)年家定、文明15(1483)年家盛、延徳3(1491)年義定、天文16(1547)年義在、永禄4(1561)年義康の5証文と某年2月玄徹、某年7月義昌の2書及び永禄丑(1565)8月の義昌の証文の計8通の写がある。木曾氏は義康・義昌の時代に武田に攻められ、義昌はやむなく武田方にくみして活路を得ている。定勝寺の現在の建物は豊臣氏の代官石川光吉が慶長3(1598)に木曾義在の屋敷あとへ再興したものという。本堂などは、近世初期の禅宗寺院の規模を示すものとして重要文化財に指定されている。
1
1
長野県立歴史館