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信濃国安曇郡仁科濫觴 写
シナノノクニアズミグンニシナカンショウ ウツシ
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安曇郡
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「濫觴」とは物事の始まり、おこりである。仁科の始まりは、10代崇神天皇(BC97即位)の末の皇子仁品王からであるとしている。仁品王は多くの家臣とこの地に降臨、王の館を建てその周りに民家も軒を並べ仁品王城と称し、館外はすべて王町といった。 宝祚谷(細萱)殿と称する皇子が都へ上り高明王と称し668年に和泉守となり「仁品王城は日本王城に読みが通じるので仁科城に改め熟躬の文字を廃し郡名を安曇郡、熟躬川を梓川にし、王町は大町と改むべし」と命じたという。大網峠は山林の盗伐を遠見張(あみは)りから名づけ、姫川は暴れ川で命を落とすものが多く、非命川からきている、「あまかざり」は「雨風去れ」と大勢で唱えたからである、などの地名の由来もある。
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長野県立歴史館