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諏訪下宮古文書 写
スワシモミヤコモンジョ ウツシ
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諏訪郡
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諏訪神社下社に伝えられた重要な古文書を書写したもので、内容は、①社領にかかわる安堵状など、②武田信玄の祭祀再興下知状、③「諏方下社造宮改帳」の3種類ある。①の主なものは、建久2年(1191)源頼朝の下文や、承久2年(1220)の執権北条高時の下知状があり、室町時代の信濃守小笠原長秀・同持長らの下社神領の安堵状などが列挙されており、中世における諏訪神社の勢威をしのばせる。②は、永禄8年(1565)11月、武田信玄が、数年間中絶していた諏訪神社の祭祀を再興するように命じた下知状である。何月何日の祭礼の費用はどこの郷でどのように負担するかをこまかに指示し、「もし無沙汰の輩(なおざりにする者)あらは成敗を加える」と厳しく命じている。③は、下社春・秋両宮の社殿や鳥居の造営修理に関する文書で、造営銭を催促しているものが多い。「累年難渋して未済の由、自由(我侭)の至りなり、きっと催促を加え、前々の如く造営せよ」という文言が多い。年代は永禄・天文ころである。
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長野県立歴史館