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コンテンツ情報

詳細

資料コード:

03OD0624200100

施設番号:

3

資料種別:

20

タイトル:

鳥居内藤家伝 写

タイトル(ヨミ):

トリイナイ フジヤデン ウツシ

サブタイトル:

サブタイトル(ヨミ):

分野:

System.Int32[]

場所(市町村名):

伊那郡

場所詳細:

緯度:

経度:

制作年(西暦):

制作年(西暦)詳細:

制作年(和暦):

制作年(和暦)詳細:

時代:

System.Int32[]

時代詳細:

制作者:

制作者(ヨミ):

大きさ(㎝):

資料解説:

信州高遠藩主となった鳥居・内藤、両大名家の家伝である。鳥居家は徳川家の譜代で、忠吉・元忠・忠政・忠恒と続く。忠政は山形で22万石を領したが、忠恒に子がなく寛永13年無嗣絶家となった。その後旧功により弟忠春に家督が許され、高遠3万石で再興した。家伝の記事はここまでである。家伝はそれまでの先祖の戦功・忠節を書上げる。織田信秀の謀略をうちやぶること、秀吉からの官位引き上げの誘いにも「二主に仕えず」といって断ったという話もある。内藤家も徳川家の譜代である。義清・清長・家長とつづく内藤宗家の系譜が主であるが、高遠藩主内藤家の祖である義清の子忠卿から忠政・清成・信成らについてもくわしい。駿河上野城へ進入した敵を追い払って以来の祖先の戦功を書上げ、元禄6年(1693)、忠興の子の没した記事で終わっている。巻末には、忠卿の子正成にはじまる分家旗本内藤家の系図も付されている。

コンテンツ種別:

1

二次利用条件:

1

コピーライト表記:

長野県立歴史館

権利関係

CC0
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