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小野古文書 写
オノコモンジョ ウツシ
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伊那郡
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高井郡保科郷(現長野市若穂)を発祥の地とする保科家代々の系譜と活躍ぶりを書いた木版本である。著者は保科広徳寺16世住職の楚賢で、文政11年(1828)の識語がある。楚賢は、保科家と広徳寺の由来に関心を持ち、20年間にわたって古書類や史跡を調べ、また会津藩主松平容敬に拝謁して、白銀10枚、蝋燭100個、葵紋の額などを拝領した。そこで寺の境内へ、保科家の武功の大略と当寺の由緒を石に刻んで立て、その徳を偲びたいという内容である。保科氏は井上氏の支族でのち高遠へ移り、武田・徳川に属して数々の戦功をあげて高遠藩主となった。徳川秀忠の子正之が養子となって会津23万石になり松平の姓を賜った。保科の姓は一族の正貞がつぎ、下総飯野藩主として続いた。本書刊行後、碑は建てられたが、保科氏の発祥は高遠だという抗議があり、寺社奉行で裁判の結果敗訴となった。碑は境内に埋められていたが戦後発掘、再建された。
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長野県立歴史館