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晴清忠義伝 写
セイセイチュウギデン ウツシ
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伊那郡
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晴清とは、高遠城の籠城で知られた仁科五郎信盛のことである。晴清は武田信玄の五男であるが、信濃国の名家仁科氏が滅亡したので、5歳でその名跡をついで信盛と改めた。信盛は、15歳で高遠城主となり、武田勢を見限って落ちる武士が多いなかで、渡辺金太夫・小山田備中らとともに、最後まで勇戦し26歳で切腹して果てた。兄武田勝頼からの退去の勧めを断り、織田信忠が送った降伏勧告の使僧を2度にわたって追い返す。物語的な文体ではあるが、使僧の持参した書状の写しなどもある。また、攻め手の森長一が、焚き出しをことわった弘長寺を焼き払い、命に応じた遠照寺へは褒美に諏訪普賢寺の太鼓や盃などを与えたという伝承なども書き残し、「今も寺にあり」と記している。合戦後、「百姓ども我も我もと山を下り、御死骸を取り納めた」といい、のち保科弾正が信盛の徳を偲んで五郎山に祠を建て、「諸士塚」も残っているという。
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長野県立歴史館