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会津保科両館由緒 写
アイヅホシナリョウカンユイショ ウツシ
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伊那郡
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両館とは、保科正之を藩祖とする会津藩と、正之の養父正光の弟正貞を初代とする飯野藩保科家の両家をいう。本書はこの両家の由緒を書いた歴史物語で、4段からなる。①「保科家御由緒」では、信濃源氏井上氏の一族である保科正光が武田信玄配下で鎗弾正として勇名をはせ、嫡子正直が家康に属してその妹を娶り、高遠藩主となるまでを語る。②は、正直が武田の武将として小笠原貞慶と戦い高名を挙げる、鉾持社一の鳥居の合戦。③は、徳川秀忠の3男幸松丸が見松院らに育てられ、保科の養子となり、山形から会津26万石の藩主となるまでの物語である。鷹狩に来た家光の前で、それとも知らず寺の住職が「肥後守様は将軍の弟なのに僅かの領地で貧しい。下々でも兄弟の情は深いのに」という。後で将軍だと聞き、1月ばかりは眠れなかったなどという描写がある。最後は、保科正貞が、編み笠姿で大坂へ出陣する土井大炊頭の陣所に現れて召し抱えられ、徳川の旗本になり、のち大名に取り立てられ、初代飯野藩主となる話である。
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長野県立歴史館