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[伊那郡陵墓書上] 村々山陵御陵墓調上申 写
イナグンリョウボショジョウ ムラムラヤマリョウゴリョウボチョウジョウシン ウツシ
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伊那郡
1874
明治7年
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明治7年、長野県は政府の指示にしたがって、各町村へ山陵・陵墓の調査を命じたが、これは下伊那郡内の戸長から下伊那郡役所への調査報告を綴ったものである。①殿岡村の国造塚、②上川路村開善寺境内の位牌・石祠、③大河原村(大鹿村)の尹良親王陵、④座光寺村の高岡皇子陵、⑤下川路村の古塚の5件が、いずれも図などを添えて報告されている。大河原以外はすべて現飯田市内である。①二重の築地があり、陪塚が30ほどある。②開善寺の開山は、後醍醐天皇の妹宮で、この地で遷化されたとの伝承があり、位牌・石祠がある。③尹良親王御陵墓の九輪石塔があり、年々3月4日に祭典をしている。④村内の古塚は宣化天皇の皇子火焔王の陵だとするもので、関島退蔵という者の考証を添えている(参考「伊那考古資料 関島退蔵考証書写 嘉永六自序文久四追考」)。⑤は高岡皇子の陵ともいい、また健御名方命の御子神の陵ともいい、さだかではない。いずれも、伝承によるもの、考証によるものだと報告している。
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長野県立歴史館